丸長・大勝軒系ラーメンとは、戦後東京における中華そば文化の発展を語る上で欠かせない一大系譜であり、現在のつけ麺文化の源流としても位置づけられる重要な存在である。その起点となったのが、1950年代に東京都豊島区で創業した丸長である。丸長は当時まだ一般的でなかった「もりそば(つけ麺の原型)」を看板商品とし、温かいスープに冷たい麺をつけて食べる提供様式を確立した。このスタイルは、酸味・甘味・辛味を合わせた独特のつけ汁設計と相まって人気を博し、後のラーメン史に大きな影響を与えることとなる。
この丸長で修業し、系譜を決定的に拡大させた人物が山岸一雄である。山岸は1961年、豊島区東池袋に東池袋大勝軒を創業。丸長の技術を基盤に据えながら、味の厚みや提供量、顧客満足度をさらに高め、「特製もりそば」を看板メニューとして大ブームを巻き起こした。山岸のもりそばは、豚骨・鶏ガラの動物系出汁に煮干しや鰹節などの魚介を重ね、醤油ダレを軸に酢・砂糖・唐辛子を加える三味一体構成が特徴である。濃厚でありながら後味は重すぎず、食べ飽きないバランス型の味として評価された。
麺は中太から太麺で、冷水で強く締めて提供されるためコシが強い。つけ汁に浸した際の持ち上げと絡みを計算した設計であり、ここに丸長以来の技術思想が色濃く残る。また、チャーシュー、メンマ、ナルト、海苔、ゆで卵など王道具材が並び、「量の満足感」も大勝軒系の重要な価値となった。特盛無料や大盛文化の普及にも、この系統の影響が大きいとされる。
ラーメン(中華そば)も提供され、こちらは豚骨・鶏ガラ主体の清湯寄り醤油スープに魚介を効かせた東京クラシック型。表面に香味油を浮かべ、コクと香りを補強する構成で、つけ麺よりも軽快ながら奥行きのある味わいを持つ。
丸長・大勝軒系のもう一つの特徴は、暖簾分けによる爆発的拡散である。山岸は弟子の独立を積極的に支援し、全国に数百規模の系統店が誕生した。代表例としては中野大勝軒、滝野川大勝軒などが知られ、それぞれ甘味強め、魚介濃厚型、酸味控えめ型など独自進化を遂げている。この多様性こそが「大勝軒は一つの味にあらず」と言われる所以である。
さらに現代ラーメン界への影響も甚大で、六厘舎系に代表される濃厚魚介豚骨つけ麺、コンビニ監修商品、冷凍つけ麺市場などの原点には大勝軒の存在がある。つまり丸長・大勝軒系は、単なる老舗系統ではなく、日本に「つけ麺」という食文化ジャンルそのものを定着させた母体なのである。
文化的側面でも評価は高く、山岸一雄は“ラーメンの神様”と称され、人情味ある経営姿勢と技術継承精神で業界に多大な影響を残した。東池袋大勝軒は閉店後も巡礼地的存在として語り継がれている。
総じて丸長・大勝軒系ラーメンとは、戦後復興期に生まれたもりそば技術を起点に、山岸一雄の革新と暖簾分け文化によって全国へ拡散し、現代つけ麺の基盤を築いた巨大系譜である。酸味・甘味・辛味を併せ持つつけ汁、魚介香る醤油スープ、満足量重視の提供思想――それらすべてが結実し、日本ラーメン史における不動の一系統を形成している。