「大牟田ラーメン」@福岡

大牟田ラーメン(おおむたラーメン)は、福岡県大牟田市を中心に提供されている豚骨ラーメンです。

大牟田市では、濃厚な白濁豚骨スープのラーメンと、あっさりとして少し透明感のあるスープのラーメンが共存しており、福岡県内では類を見ないことが特徴として挙げられます。

また、久留米市で誕生した豚骨スープのラーメン、いわゆる久留米ラーメンは九州各地のラーメンの源流となっていますが、久留米ラーメンとは異なる独自の経路で誕生しています。

第二次世界大戦終戦後、国策として傾斜生産方式が採用され、石炭産業や鉄鋼産業への優先的な資本投入が行われました。

三井三池炭鉱のある大牟田市へも全国各地から職を求めて多くの人々が訪れており、1945年(昭和20年)に約12万人だった大牟田市の人口は、5年後の1950年(昭和25年)には19万人超と急増しています。

そんな人口が急増している1949年(昭和24年)に、「岡山から来た」という電動製麺機を携えた4、5人の素性不明の男たちが、国鉄大牟田駅(現JR大牟田駅)前に屋台を構えたのが、大牟田の豚骨ラーメンの誕生だと言われています。

男たちは、1952年、1953年ごろには岡山に帰ったと伝えられますが、男たちと関わりを持った人たちが、屋台や店舗でラーメンを提供し続け、戦後復興のエネルギーに満ちた大牟田市の住人の胃袋を満たし続け、やがて故郷の味として定着していきました。

大牟田市内でも老舗のラーメン専門店「東洋軒」の初代・宮川光義は、男たちからラーメン作りを教わった1人で、1951年から屋台で営業を始めています。

市内で大内田製麺を営んでいた大内田貞夫は男の1人からラーメンの麺の作り方を教わっています。

食堂系ラーメン
一方、大牟田市には、定食類やかき氷、うどん類を提供する「○○食堂」といった店で提供されるあっさりとして少し透明感のあるスープとチャンポン麺を組み合わせたラーメンがあります。

大牟田食堂系ラーメンとも呼ばれるこのラーメンも、終戦直後に産まれたと考えられています。

うどん店や食堂でラーメンを提供するようになった経緯は、戦後の品不足や長崎ちゃんぽんのある長崎が近いことが影響されるのではないかと考えられていますが、詳細は定かではありません。

大牟田市での人気うどん店「白瀧屋」の場合、鶏がらや豚骨は使用されておらず、フライパンで具材を炒めて12種類の魚介類から採った出汁を入れて煮詰め、チャンポン麺と合わせて作られています。

大牟田ラーメン会
2013年、「東洋軒」3代目の江崎大宗が、九州新幹線の全線開業を機に大牟田ラーメンの知名度を上げるため、市内のラーメン店の若手と共に結成しました。

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